*映画祭日誌*topに戻る   ○NEW FILM/NEW DIRECTORS(ニューヨーク映画祭レポート! )2002年3月22日〜4月7日


風間さん、ニューヨークの感想記

2001年9月11日、ニューヨークのツインタワーに1機目の飛行機が突っ込んだ時、
わたしは渋谷の飲み屋で、友人らと酒を飲んでいた。
店内のテレビがざわつき始め、その内みんな天井の隅に吊る下げられたモニターに釘付けになっていった。そうしているうちに2機目が突っ込み、どうやらペンタゴンもやられたらしいと、テレビが言っていた。
これじゃあ、戦線布告じゃないか?
テレビの中で、何度も繰り返される、ざらついた奇妙にリアルな映像。
人々のどうしようもない恐怖と絶望、かなしみ。
世界なんて一瞬でひっくり返る。
その後は予想していたとおり、アメリカによる、はっきりとした証拠の見えないタリバーン潰し、アフガニスタンへの怒濤のような空爆が始まった。
疲弊し切った手負いの地に、さらに暗澹と爆弾の雨が降る。
これじゃあ、皆殺しだ。
21世紀が希望の世紀だなんて、あれはいつの話だったけ?
バカでかい暴力の前に、わたしたちはあまりにも無力で、深い絶望を感じずにはいられない。絶えず生まれる苦しみや憎しみの連鎖をどうやって断ち切ろう?

わたしは、強大で力を誇示するものが、とにかく嫌いだ。
だから、アメリカという国家は、当然嫌いだ。
ブッシュは、なんであんなに幼稚なんだろう?(小泉は白痴だけど)
アメリカとゆう国家は幼稚で、日本は白痴とゆうことか?
それにしても、ビンラディンは、どこに行ったのかな?
そんなこんなを考えているうちに、年が明け3月になり、わたし自身がニューヨークに行くことになった。
その頃ちょうど、テロ半年を記念して、ツインタワー跡地から光のモニュメントが点灯されると、日本のマスコが騒ぎ立てていた。

2002年3月22日夕方から、27日の午前まで、わたしはニューヨークに滞在した。
空港からのタクシーから見たマンハッタンの街並みは、サイバーな墓標のようにも見えた。
24時間休むことなく、ひたすら明るく輝き続けるブロードウェイのネオンは、電気さえも消費することが美徳なのだと語っているようだった。
しかしなんだか、街を歩く人々はひっそりしているように感じられた。
地下鉄じゅうに貼られた、何カ国語かで書かれた命の電話のポスター。
明け方に見た人気も車もないタイムズスクエアで、ネオンだけが狂ったように笑顔を振りまいていた。

blues men.... 



さて、映画祭である。
NY在住の、小松さん役の篠崎はるくさんと再開する。撮影以来、1年ぶりの再開だ。
こんなところで会えるなんて、映画の取り持つ不思議な縁だ。
彼女は新婚さんで、だんな様であり写真家であるミッチェル・デルソル氏と一緒に映画を見てくれた。
はるくさんは、ものすごく喜んでくれて、その姿にこちらまで嬉しくなる。
デルソル氏もとても気に入ってくれたみたいで、その後2人のお家(築100年のアパートメント)に招待され、はるくさんの通訳と片言の英語を駆使して、映画の感想を詳しく聞き、語り合った。
なんとも嬉しかったのは、「Life is beautiful」という、デルソル氏の一言である。
映画祭で一番嬉しいのは、いろいろな人と知り合え、実際に自分の作品の感想を聞けることだ。世界中のひとびとに、思いが届いたと、それがわかった時が、一番嬉しい。
(ちなみに、このHPのスタッフページの監督写真は、この滞在中に、デルソル氏に撮っていただいたものです)

2日間の上映が終わった後は、はるくさんの案内で、街を散策し、怒濤のように食べ、飲み歩いた。
夜、ふらふらとダウンタウンを歩いていたときだったか、ふと空を見上げると、うっすらと、2本の光の柱が、天へ延びていた。聞くと、あれが光のモニュメントだと言う。
日本のニュースで聞いた時は、とても明るいハデめな光なのだろうと、勝手に想像していたが、それはとんでもない思い込みで、実際はとてもそこはかとない、静かな光だった。
それは、本当におごそかな祈りの光に見えた。
静かに、ニューヨークの人々は、祈っている。
死者の魂を、心の平穏を、平和を祈っている。

その光は、バットマンを呼ぶ、バットサインの光みたいにも見えた。
アメリカのひとは、バットマンを呼んでいるのかもしれない。
全てを解決してくれるヒーローを呼び続けているのかもしれない。
ここには、バットマンは、いないのに。
ふと、そんなことを思った。

追伸:はるくさん、デルソル氏、ほんとうにありがとう。また会う日まで!